2007年08月25日

赤崎一雄 ドキュメント6

借金の問題も解決し、アヤノの口癖である「捨てる神あれば拾う神あり」のお陰で今の自分があることを感謝していた一雄。自分にとっては母親が神様だ、と感じていた。そう言うと、アヤノは「恐れ多いよ」と笑った。
 次の個展は福岡で行われることになっており、一雄はアヤノが退院して来てくれるのを待ち望んでいた。だがアヤノは福岡の個展が開かれる前に、息子の成功を見届けて79歳の生涯を閉じた。
 一雄さんは、今頑張る原動力に一番なっているのは母親であると、涙を見せた。
 今年の5月には自分だけのアトリエ「赤崎一雄アトリエ・ステーション」を開いた。そこにはひときわ目を引く大きな作品がある。「野良に贈ったパンと迷夢」。マジシャンが野良犬や野良猫に魚や肉を出して見せるというこの作品には、落ち葉を魔法のように芸術に変えた一雄さんの人生が重ねられているという。
 そのマジックの種明かしは、母が教えてくれた不屈の精神なのかもしれない。
 現在一雄さんは、全国で葉彩画の教室を開き落ち葉の魅力を広めている。

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赤崎一雄 ドキュメント5

それでも葉彩画に魅せられた一雄は没頭し、様々な質感と色彩を、色々な種類の落ち葉を組み合わせて表現する方法を磨いて行った。しかし、相変わらず美術界の反応は冷ややかだった。さらに借金の過酷な取り立ても続き、拾う神は現れないのか、と思っていた時だった。
 一本の電話が赤崎家にかかってきた。電話を取ったアヤノが困っていたので電話を代わると、それはフランス語の電話だった。実はひと月ほど前、芸術の本場パリの美術展「サロン・ド・パリ」に日本の新人の作品を持ち込む窓口をする美術出版社に、自分の作品を託していた。その美術展に一雄は地元の朝市の様子を描いた作品を出品し、これがなんと大賞を受賞したのだ。
 拾う神が現れた。芸術の都・パリが認めたことで、葉彩画を取り巻く環境は大きく変わった。注目度が上がり、初心者用の落ち葉で絵を描く本が出版され大きな反響を呼んだ。
 一方、葉彩画に対する批判もなくなり個展が開かれるまでになった。そしてその成功を母アヤノは誰よりも喜んだ。数年後、アヤノは入退院を繰り返すようになったが、病を感じさせない笑顔で息子の活躍を喜んだ。
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赤崎一雄 ドキュメント4

さらに、実際の絵作りでも困難が待っていた。ベニヤ板に貼った紙に下書きをし、そこに落ち葉を絵の具のように切り貼りするのだが、乾かすために数日置いておくと落ち葉が変色し、さらには虫食いでバラバラとはがれ落ちてしまったのだ。
 虫食いは消毒液と防腐剤を吹き付けて殺菌することで解決した。貼付ける糊も虫が寄り付かない合成糊を使用した。変色の問題は、新聞紙に落ち葉を挟んで乾燥させ、色が落ち着くのを待つことで解決した。一人で試行錯誤しながら、昼間は仕事、それ以外の時間は落ち葉の絵画に費やした。
 そんな時、アヤノが袋一杯に落ち葉を拾ってきた。近所の人に「何にするんですか?」と聞かれると笑って「煎じて飲むと薬になるんですよ」と答え、人目も気にせず一人で集めてきたのだ。
 そして落ち葉を拾い始めてから1年が過ぎた1981年、自分が生み出した芸術を世に問うべく、地元の美術展に作品を持ち込んだ。「葉彩画」と自ら名付けた、絵の具などを一切使わない斬新な落ち葉の絵画だったが、邪道だということで受け入れられなかった。
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posted by 269g